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大阪高等裁判所 昭和58年(ラ)347号 決定

抗告人 上野美智江 外二名

相手方 上野勝一 外二名

主文

原審判を取り消す。

本件を奈良家庭裁判所葛城支部に差し戻す。

理由

一  本件抗告の趣旨は、主文と同旨の裁判を求めるというものであり、その理由は別紙記載のとおりである。

二1  抗告人らは、原審判添付物件目録3記載の宅地は、被相続人亡上野良治郎の遺産ではなく、抗告人美智江の父栗原菊松が同抗告人のために買い与えたものであり、同抗告人の所有であるから、本件遺産分割の対象とはならない旨主張するが、一件記録によれば、右土地は、昭和二四年七月二日、自作農創設特別措置法二九条二項に基づき、政府から亡良治郎に売渡されたものであることが認められ、同法に基づき、政府から土地の売渡しを受けるためには一定の資格を有することが必要とされていたことに照らせば、右土地は、右認定の政府からの売渡しにより亡良治郎が所有権を取得したもので、したがつて亡良治郎の遺産であるものと認められる。もつとも一件記録によれば、亡良治郎が政府から右売渡しを受けるにつき、抗告人美智江の父栗原菊松がその買受資金を出捐したことが認められるが、右事実があるからといつて直ちに右認定が左右されるものではない(なお原審は、右菊松の資金援助を抗告人美智江の寄与分として考慮している)。よつてこの点についての抗告人らの主張は失当である。

2  原審判は、遺産の評価にあたり、原審判添付物件目録5記載の建物については、相続開始後である昭和五四年に相手方勝一が取毀し滅失したため鑑定評価が不能であるとして、同年度の固定資産課税台帳に登録され評価格(以下「台帳価格」という)を基礎とし、その他の不動産については、鑑定人の鑑定(昭和五五年五月三〇日実施)による時価評価額を基礎とし、これらの額に一〇パーセント増額した額を遺産の価額と定め、右建物を相手方らの取得分としていることが認められる。しかし、台帳価格は、実際の時価に比べ相当低額であることは公知の事実であるから、右の如く遺産のうち一部の不動産について台帳価格を基礎とし、他の不動産については鑑定による時価評価額を基礎として遺産の評価をするときは、取得不動産の如何によつて相続人間に著しい不公平をもたらし、相続分に相応した適正な遺産の分割とはならないことは明らかである。したがつて、既に滅失した建物を評価することは困難を伴うけれどもできる限り建物の建築時期や建築費用、建築資材、使用状況等を調査し、台帳価格や現存時の写真(一件記録によれば、右建物の写真が提出されている)その他の資料を収集するなどして適切な評価をなすのが相当である。原審がこの措置をとらず、前記のとおり5の建物について、その台帳価格のみに依拠して、遺産分割の手続を進めた結果なされた原審判には、遺産評価及び遺産確定の手続に違法があるものといわねばならない。

3  又原審判は、相手方勝一が昭和三三年六月頃に亡良治郎から贈与を受けた小作地である奈良県北葛城郡○○町大字○○○×××番地、田、一〇七一平方メートルの耕作権については、相手方勝一が旧制中学校卒業以来一二年間家事の手伝いをしたことに報いるために亡良治郎が相手方勝一に贈与したものであり持戻しの対象とはならないとしているが、一件記録による右の如き事情を認めるに足る充分な資料はない。原審判はこの点においても遺産の範囲の確定を誤まつているというべきである。

三  以上のとおり原審判は失当であり、本件抗告は理由があるので家事審判規則一九条一項により原審判を取り消し、本件を奈良家庭裁判所葛城支部に差し戻すこととし主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 村上明雄 寺崎次郎 安倍嘉人)

抗告理由書

一、遺産の範囲及び価格について。

1 原審はその理由第三項一において、亡良治郎の相続開始時における遺産として、審判別紙物件目録記載の、宅地一筆、畑二筆、田一筆の各土地と建物一棟であるとし、その遺産について分割を行つた。

しかし乍ら、原審が何ら調査をすることもなく安易に良治郎の遺産であるとした宅地は元々抗告人上野美智江(以下単に美智江という)個有の財産であつて、本件審判の対象とされる亡良治郎の遺産ではない。

すなわち、同宅地は、元々、奈良県北葛城郡○○村大字○○、三田和正の所有であつたものを、自作農創設特別措置法が施行された際、美智江の実父栗原菊松が同女のために昭和二五年八月七日に金一、一五五円七〇銭を支払い買受けてくれたものである(本理由書添付の澤登の陳述書)。

その事情は以下の通りである。

昭和一九年一〇月に美智江が相手方ら三名を抱え、日々の生活にすら困つていた亡良治郎と両親の反対を押し切つてまで結婚するに至つた事情及びそのことのために同女は勘当されて実家栗原家への出入りは禁止され実家との関係は一切杜絶していたことなど同女が原審において提出した昭和五六年九月付上申書において縷々述べている通りである。

しかし乍ら、美智江が長女利代を昭和二〇年五月五日に出産したのを機に、父栗原菊松の抗告人美智江に対する怒りも徐々に氷解し、以後、父栗原菊松は困窮を極めている美智江のために種々の援助の手を差し伸べて呉れた(同上申書)。

本件宅地は、自作農創設措置法が適用されるのを機会に、美智江の実父栗原菊松が、長女福子(相手方勝一の妻)をもうけたまま夫井上長次郎と離別して実家へ帰つていた美智江の姉栗原チエに対し同郡○○町○○××××番地の建物を文房具店とも買い与えかつ二反余に及ぶ田んぼの所有権まで与えて援助してやつていたことに比較して、何もしてやつていない美智江を不憫に思い、勘当している手前内緒で美智江のために買い与えてくれたものである。

そして、その所有名義については、栗原菊松が内緒で美智江に買い与えたことが他に知れるのを嫌い、同人の指示に従い名義を亡良治郎のものにすることとしたものである。

当時、亡良治郎は、普段は僅かばかりの農地を耕しており、祭りの時等に子供相手の露天商を出すといつた変則的な仕事をしており、他方、美智江も昭和二一年に次女一江が生まれる様になつて農協にも勤められなくなつて退職してしまい行商をしてわずかばかりの収入を得るといつた状況で、亡良治郎及び美智江の夫婦は子供を抱え、その日の食事代にも事欠く様な惨めな生活振りで、美智江の実父栗原菊松の援助がなければ到底本件宅地の所有権を取得できる様な状態ではなかつた。

本件宅地は、美智江の実父栗原菊松が美智江に買い与えた同女の個有財産であり、原審の様に亡良治郎の遺産の範囲に含め、本件遺産分割の対象たる不動産とすることは誤りである。このことについて美智江は原審において再三述べたし、又上申書においても申述したのに原審は何ら事実調査をしようとしなかつた。

又、本件宅地の所有権を取得した事情を亡良治郎から聞き良く知つている者として奈良県磯城郡○○町字○○××澤登氏についても原審で申述したが、同氏に対し事情聴取をした形跡は全く窺えない。

2 相手方勝一が、耕作権の贈与を受けた北葛城郡○○町大字○○○×××番の田について。

同田は元々美智江の実父栗原菊松と申立外山本重吉の共有田で(現在は美智江の兄栗原清三郎と山本重吉の共有となつている)、実父栗原菊松が単独で耕作をしていたものであるところ、美智江の長女利代が出産直後、当時農地三反以上を耕作している者は軍への徴用に応じなくとも良いということであつたことから、急拠実父栗原菊松がその耕作権を亡良治郎と美智江夫婦に無償贈与してくれたものである。

相手方勝一が旧制中学校卒業以来結婚するまでの約一二年間、次々と勤めを変えては使い込み金の後始末を亡良治郎夫婦にさせたことはあつても家業である農業兼露天商の手伝いなどまともにしたことなど全くなかつたこと前出上申書記載の通りである。

同田の耕作権を相手方勝一に与えたのは、同人が昭和三三年三月に美智江の姪福子と結婚し、亡良治郎の遺産に対する権利など放擲してしまい、事実上養子として福子の実家である同郡○○町○○××××の×番地で生活を開始するのに際し、同人に対し生計の資本として贈与されたものである。

従つて、原審の如くこれをもつて相手方勝一が家業の手伝いをしたことに報いるために被相続人からなされた生前贈与であつて持戻しの対象となる生計の資本としての贈与ではないと認めるのは事実誤認も甚だしいといわねばならない(本理由書添付の澤登の陳述書)。

3 磯城郡○○村大字○○×△×番の田について。

同田は元々「宮田」と称せられており、講を構成していた一〇軒の家が観念的な耕作権を有しており、実際はそのうちの一軒が耕作を行つていたのであるが、自作農創設措置法が適用される際、たまたま耕作者が死亡したために次順位の耕作権を持つていた亡良治郎夫婦が同法により金一、〇〇〇円で買い受けることができたのである。

但し、同田を買い受けるにも当時の美智江らにはその余裕もなく、全て美智江の実家の両親から借受けて漸く買取ることができたものである。

従つて同田を単純に亡良治郎の遺産に含めてしまうことも正しくない。

4 結局、亡良治郎が元々有していた個有の遺産としては、同所○○○×××番の田の小作権、同所○○×××番五、×××番六の畑(但し、同畑地は元々長方形の同所×××番という一筆の畑であつたが昭和一五年頃、中央部を斜めに分断する形で県道として買上げられたため、現在では両端に二筆の三角状の土地として残つているだけである)、そして、同所×△×番地の一地上の家屋(但し、同建物は相手方により解体されたために滅失している)だけにしか過ぎない。

ところで、本件宅地を含めて同目録記載の各物件について鑑定がなされているのであるが、各不動産の価格について鑑定をした○○○○氏の鑑定は元々畑地を一般取引価格より高めにそして宅地を極めて低めに評価しており元々全く実情にそぐわない鑑定で抗告人らは原審でそのことを指摘し再三にわたり再鑑定を求めていたものである。原審はその様な鑑定をそのまま採用し、同鑑定を基本に全ての不動産について単純に一〇%を増額させているのであるが一〇%という数字に何等合理性がないばかりでなく、又、宅地も農地も一律に扱うもので極めて乱暴かつ杜撰という他なく、結局審判の主文を導く理由はないに等しい。

更に相手方勝一の解体した建物について、原審は所謂評価額によつたのであるが、取引価格によるべく現存しないからといつて評価が不能であると断ずるのは極めて短絡である。建物の状況を表わす写真は何枚も提出されているのであるし、関係者からの事情聴取、取引事例等を調査することによりその価格を算出することは不可能ではない。ちなみに、同所×××番五、六の畑地は前記の如き形状をしていてそもそも取引の対象にならないものであるにも拘らずその様な個別的要因があまりに考慮された節は見受けられないし、又、宅地についても、本件宅地から西へ約一〇〇メートルのところにある同所××△番三の宅地が昭和五五年に売却された際坪当り金一八万円で売却されていることからしても、同鑑定が、ひいては原審審判が現実から全く乖離してしまつているものであることが自明となる筈である。

二、抗告人らの事情

抗告人美智江は、昭和三三年九月一一日に夫良治郎を亡くして以後、本件宅地上の建物に居住し、固定資産税等その他全て自己の費用負担において家産の維持管理にあたつてきた。

美智江は、父栗原菊松から買い与えられた本件宅地に非常な愛着を抱いており、昭和四四年一二月一二日長女利代に婿養子上野宏一を迎えたのを機に、後に相手方勝一によつて乱暴にも解体されてしまつた本件宅地上の建物を建て替える計画をたて、既にその見積りもさせていた(本理由書添付見積書)。

ところが、それまで、亡良治郎の遺産など何一つとしていらないと主張して見向きもしなかつた相手方勝一が突如、亡良治郎の遺したものは「カマドの灰」まで長男である自分のものであると主張し、もし家など建て替える様なことがあればぶち壊してやるなど暴言を吐き始めたため、急遽、建て替えることを中止し、人を介したりして相手方勝一の説得に努力していた。

ところで、長女利代の夫上野宏一が独立して家具店を営み、昭和四六年五月一日に借金をして京都府相楽郡○○町の借地上に鉄骨亜鉛メッキ鋼板葺二階建店舗を新築してからは、美智江も同店舗の手伝いに行く様になり、○○町の自宅(相手方勝一に解体された建物)からほとんど毎日利代夫婦と一緒に○○(○○町から車で約三〇分のところ)の店舗へ通い家具店の手伝いをする生活を送つていた。

相手方勝一は、美智江の姉栗原チエ(勝一の妻福子の母)が父栗原菊松からもらつていた前出二反の田が、町の浄化センター用地として買上げられ、三、〇〇〇万円の金が入つたのを機会に本件宅地上に同人の居宅を建てることを勝手に企画し、美智江らが毎日○○の店へ行き、昼はいないのを奇貨として、周到な計画のもと、一日にして美智江らの家具類一切を戸外に放り出した上家を解体してしまつたのである。

原審は、理由第四項一において美智江らが宏一所有店舗の二階を改造して居住地を確保していると認定しているが、同店舗の二階は前述の如く無法にも相手方勝一のために一日にして居住建物をなくし、行き場のなくなつた美智江らが止むなく倉庫を居住用に改造して仮の身の置き場所としているのに過ぎないものである。

既に老境の域に達した美智江としては、生を受けた○○町で余生を送りたいという強い願望を依然として持ち続けている。

同女としては、相手方勝一が本件宅地の取得にあくまでも固執するならば、解決を図るためにも、同人が美智江に対し誠意をもつて謝罪することと、美智江が○○町で新らしい土地を取得するための資金に充てるために、本件宅地を相手方勝一に適正な価格で買取らせても良いと漏らしたことはあつたが、原審が同項でいう様な相手方勝一が反省するならば無条件に本件宅地の所有権を勝一に取得させても良いなどといつたこともなければその様な考えなど毛頭持ち合わせてもいない。

美智江としては、法を全く無視した相手方の行動を積極的に追認してしまう原審の審判を容認することは出来ない。特に、美智江が父栗原菊松から買い与えられた本件宅地を事実調査もしないまま安易に亡良治郎の遺産の範囲に含めその分割をなした原審、審判には到底承服することが出来ない。

三 相手方勝一について。

原審判は、相手方勝一について、種々誤つた認定をしている。

まず、昭和三三年六月頃子供の面倒を見てもらうために妻の実家で母と同居することになつたとあるが、当時まだ勝一に子供はない。当時、妻の実家(美智江の姉栗原チエ宅)は文房具店を営んでおり、二反余の田も所有していて生活が楽なことから、同人特有の計算に従い良治郎及び申立人らの元を去るに至つただけのことである。

相手方勝一及びその家族は、妻の祖母の居住建物をその後更に増築して居住しており、プレハブの仮設建物などに居住してはおらない。

相手方勝一らが妻の得る月収約金二〇万円で生活しているというのは全く虚偽の事実である。

四、結論

原審判は、亡良治郎の遺産の範囲について争いがあるにも拘らず充分な調査をなさず、単に登記名義等から容易にその範囲を確定し、しかも対象不動産の価格の確定についても充分な合理的根拠が示されておらずかつ現実から全く乖離しているもので結局、原審判は合理的な理由が付されていないのと同一に帰する。

本件審判は、当事者に審判に対する不信感(尤も相手方にとつては大いなる満足感であろうが)と、強者の論理の優越性を植えつけただけという他ない。

よつて、充分な調査に基きかつ合理的な理由を付した審判をさせるべく原審判を取消し、本件を原審へ差戻して頂き度い。

抗告理由補充書

抗告人らは先に提出した抗告理由書一、4において原審が被相続財産の時価を算出するにあたり、その根拠とした鑑定について同鑑定は拠り所とすべきものではないと述べた際引用した近隣宅地同所××△番の3の土地(本書添付公図御参照)の売買について、売買時期を昭和五五年としたが昭和五六年七月五日の誤りであるので訂正する。又、売買価格を坪当り金一八万円としたが金一七万円であるのでこの点についても訂正する(本書添付の契約書及び登記簿謄本御参照)。

原審が引用する鑑定は本件×△×番一の宅地についてその評価を坪当り金七四、二四九円とするものである。しかし、鑑定当時においても、本件宅地の近隣にその様な低廉な価格の宅地は一つとして存しなかつた。

尚、審判により抗告人らの共有とされた畑及び田は全て市街化調整区域内の土地である。従つて、上記宅地、畑、田の地価上昇率を一律に一〇%とすることはこの点からも誤りである。

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